行政発掘って何!?よく見る遺跡発掘とは何が違うの!?という人も多くいると思うので、できるだけ分かりやすい漫画を描いていけたらと思います。この漫画から見ていただいてももちろんOKですが、〝発掘くつくつ 〜プロローグ編〜〟の方もアップしているので興味があったら是非読んでみて下さいね⤵️
それでは本編に行ってみましょう!



穴蔵の歴史は古く、中国では新石器時代から〝コウ〟〝トウ〟と呼ばれる地下式の穀物貯蔵庫があるりました。その後、青銅器や高級陶磁器を埋納した〝コウ蔵〟が造られます。
縄文時代には〝袋状土坑〟と呼ばれる遺構に堅果類などを貯蔵した施設が見つかっています。
1478年の文献には火事に際して〝具足〟などを穴蔵に貯蔵していたとの記述がありました。
近世には災害時の非常用として、穴蔵の使用方法に変化がみれます。
1656(明暦2)年、江戸本町の呉服商・和泉屋久左衛門が、地面に穴を掘って財産も商品も保管することを、考えついたそうです。それまでは土蔵↓を建てるのが主でしたが、
地下室の方が安く
同時に穴蔵を専門に造る職人、「穴蔵大工」と呼ばれる職業が生まれ、技術が発達していったのです。
ということで江戸の町には、優れた地下室がたくさんあったそうです。

江戸時代の「穴蔵」とは、いわば地下式の耐火倉庫で、災害時において家財を緊急避難させるために用いたり、あるいは金銀を備蓄するためなどに用いました。
人口密度の高く、土地に不自由する江戸の人々の間では土蔵代わりにも構築されたのです。穴蔵は大名屋敷を含む武家屋敷、町屋敷いずれにも広く分布する事となります。
台地と低地という立地の違いによって、それぞれの構造も異なっているます。
台地上の穴蔵は、一般的に関東ローム層―いわゆる「赤土」―中に掘り込んで、地中に部屋を設けたものです。
【掘り抜き穴蔵】⤵️
これに対し、低地に存在する穴蔵は、土地が軟弱で地下に部屋を掘り抜くことができないため、四角く掘り込んだ穴の中に、木造の大きな枡形の部屋を設置し、その上に天板を乗せていました。
火災時にはさらに砂や水畳で覆って、天板の延焼を防いだのです。
Ⅳ Ⅴ
【穴蔵の位置】
大名邸では建物の外部の空き地に設けられる事が多く、町人の穴蔵は見世の床下などに設置されていました。江戸では木製枡形が多く、緊急時には蓋をして砂で覆っていました。また、町人地は狭く、建築密度が高い為に床下を利用していたようです。
さて、余談ですが実際の現場では地下室の壁に〝真っ二つに切った竹〟を壁に補強していた後が見つかりました。おそらく、盗難予防に壁を厚く守ったのではないかと言われています。現場では文献に載っていない事例も出てくるので非常に面白いですね。
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